わたくしインペルー、むしろ X さんのこと

2008 年に入ってからいくつか影響のある出会いがあったのだけど、その中でも特に衝撃的だった X さんについて書き遺しておこしておこうと思う。


彼女と会ったのは、春に行ったペルー旅行のツアーだった。成田空港でツアーメンバーと初めて集合したときから異彩を放っていた。緑のベレー帽にグラデーションのかかったサングラス、空気がふんだんに含まれた何とも言えないジャンパー、そして真っ赤な口紅。スーツケースは手作りと思われる茶色のカバーが掛けられており、そこには彼女がいままで行った国の国旗が所狭しとアップリケされていた。


X さんの年齢ははっきりとは聞かなかったが、おそらく 70 前後だったんだと思う。30 人ちょっとのツアーに、一人での参加だった。


X さんは屈託がなく、頭の回転が速く、話が面白い人だった。しかし若干世間ずれしたところもあり、海外旅行の話題になると「あなた行ったでしょ、パリ」「あなた行ったでしょ、南アフリカ」と、対話している相手が常に自分と同じ立ち位置であることを前提に話を進めることも多かった。とはいえ厭味なところはまったくなく、愛嬌のある話しぶりだったので、ほかのツアーメンバーとも打ち解け、いつも彼女のまわりには人が集まっていた。


X さんはおしゃれだった。個性的なファッションセンスだった。

ペルーについて初めての夕食の日、X さんは着物を着て登場した。「現地の人にあげようと思って、もう着ない着物をたくさん持ってきたのよ」。
次の日は「FENDI」のロゴマークが敷き詰められたベストを着ていた。「X さん、おしゃれですね!」と何の気なしに話題にしてみたら「これ、もらったタオルで作ったのよ〜」との返答。確かによく見るとタオル地。
また別の日には「LOUIS VUITTON」と描かれたリボンが巻きついた麦わら帽子とジャンパーをセットで着用していた。確認はしなかったが、おそらくルイ・ヴィトン製品を購入した際に包装でついてきたリボンを X さんなり流にアレンジしたものと思われる。


ある日の夕食時、突然 X さんが「私、むかし自殺未遂したことあるのよ」と衝撃の告白。旦那さんが病気で亡くなった際、自暴自棄の鬱病になり、農薬を大量摂取したそうだ。一命を取り留めたものの「後遺症があるのよ、ホラ」といって見せてくれた両手の指はよく見ると曲っていた。「夫婦ってそういうものよ」とにっこり笑う X さん。

ちなみにこの旦那さんは相当な資産家だったようで、X さんはそれを引き継ぎマンション経営をしているとのこと。「ゴールデンウィークは庭の水やりがあるから、旅行には行けないのよ」と言っていたが、裏を返せばそれ以外の期間は世界中を飛び回っているようだ。
さらに余談だが某重鎮とも親戚にあたるらしく、彼のお土産にとアルパカのセーターを路面店で購入していた。一連のエピソードを追ってみても、X さんの経歴および周辺情報はいまだに謎が多すぎてまったく分からない。


そんなこんなのツアー旅行の最終日、事件は起きた。


ナスカの地上絵を見てリマまで戻る途中、トイレ休憩で立ち寄ったガソリンスタンドでのこと。トイレは混んでいて、最後に私と X さんが並んでいた。外は炎天下。暑いなぁ。そう思いながらぼーっとしていると、ふと前にいた X さんが振り返った。


X さん「あなた、いい T シャツ着てるわねー」
私「あ、ありがとうございますー」(ユニクロの UT 着用)
X さん「私なんてノーブラよ〜」


え、と思うやいなや、X さんは突然、着ていたカットソーをバタバタと仰ぎ始めた。
あまりのことに固まる私。確かにノーブラ。カットソーの下から齢 70 (推定)のナマ乳がチラチラとほほ笑む。



「え、X さん、そんなこと外でしたら犯罪になっちゃいますよ!」


そう言うのが精いっぱいでした。そんな私をニコニコ見つめながら、X さんはトイレに消えていった。


あまりのできごとにペルーの思い出はほとんど消し飛んでしまった。マチュピチュもクスコの街並みもナスカの地上絵もすごかった気がするけれど、X さんのナマ乳ですべてが記憶喪失…。そして今思い返しても「いい T シャツ」と「私なんて」と「ノーブラ」の関係がまったく分からない。


ちなみにその後、X さんに撮った写真をお送りしたら、ご丁寧にお礼がずっしりと届いた。別れ際に「それなりのお礼はさせていただきます」という怖いもの見たさ心をそそる予言を残されていたが、その期待を大きく上回る品々だった。X さんお手製の洋服が 5 着、おそろいのポシェット 1 つ、豪華な刺繍でお相撲さんが描かれたエプロン(まわし?)、そして写真。写真といってもペルー旅行の写真は 1 枚だけ。残りは彼女が世界を旅した写真だった。スフィンクスの前でピース、クルーズの船内でピース。なぜか加山雄三と X さんが写っている写真も。もちろんいずれにも、私たちは写っていない。


そんなわけでペルー旅行は一生忘れらない思いでになりました。ああ行ってよかった。
X さんにまたお会いしたいなぁ。